2年以上前に書いた文が出てきたので、救出しました。

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ケバブ屋の眼

「ここにいるのはみんな仲間。知らない人でも、『お疲れ様です』と声をかけるんだ。」

クルド語講座の打ち合わせのために新宿へやってきたのは、週末の享楽をむさぼった後の投げやりな疲労がかすかに漂う日曜の午後11時過ぎだった。西武新宿駅を出ると雨も降り出している。足早に帰路に付く人の流れに逆らい、歌舞伎町へ向かう。コマ劇場前のケバブ屋にも客はいなかった。

「これからサテンに行くから、なにかあればそこへ来て」とトルコ語で屋台の中の弟に告げると、Sは足早に裏道を歩いていく。もう一台、日本人が担当するケバブ屋に声をかけていく。私が「こんにちは」と声をかけると、彼はとまどった表情で黙る。いつものサテンへ向かいながら、バイトですか?と尋ねる私に「彼はこの辺のチンピラさんだ」と答える。売り上げの何割かが彼の懐へ入る。でも今日はもう売れないだろう。


「クルド人は直接にものを言わない。そこは日本人と似ていると思う」とSは言うが、「多くを言うな。お前の目がすでに語っている」というクルドのことわざに似て、Sの眼は強い。私は視線をはずすのがやましさの証のように感じる。見ているのではなく、見られている。試しているのではなく、試されている。

「本当は言葉は問題じゃない。信頼できるかどうかだ」例えトルコ語で、日本語で、英語で話そうとも、それは本質的な問題ではない。ではなぜ日本で「クルド語」の講座を行うのか?何のために?
私でもわからないことをSはどうやって納得したのだろうか。拓殖大学で充実する言語講座、翌年から国家を持たないクルド語の講座が始まる予定だった。

「お母さんのことばは特別だ」
「母語」ではなく、Sの言う「お母さんのことば」。英語のmother languageを日本語に訳しているのだろうけれども、紙の上にはない異国の国で語られた言葉だからこその素朴な確信がある。

僕は新宿のケバブ屋が面白い、と、トルコではジャーナリズムの席に身をつらねていたSは言う。

イスタンブールにいた頃は、マンションも車もお金もあった。(「写真で賞を取ったからね」と付け加えて。)フランス、イタリア、東欧の女の子と付き合った。最初の彼女は、自分の子どもに「S」と名づけたと言っているんだ、と少しだけ誇らしそうなそぶりをみせる。
「でも全部置いてきた、トルコに」。最初のビザが切れるまでの4年間はいろんな機関で仕事を委託されていたようだ。しかし裁判で「弁護士は勝ったといった、でも在留資格はない。これはどういうことだと思う?」とまた彼は私に問う。

「僕は日本に来た時、まだ若かった。違う国に移ることも出来た。でももうやり直せない。僕は日本に8年もいる‥」

時計を見ると、午前三時を回っている。壁には「睡眠禁止」の張り紙があるが、横のテーブルはつっぷして寝ているおじさんの列。ソファーに横にならなければ黙認されるようだ。隣のテーブルからは韓国語、後ろからは英語が聞こえてきた。私たちはクルド語の打ち合わせを、トルコ語と日本語で進める。

5時過ぎに、レジにいた金髪のおばさんが「S、これ差し入れ。内緒ね」と言ってカツサンドをもってきた。Sは手をつけない。私は空腹のピークを通り越していたのと、Sの眼に射すくめられて胃が縮んでいるのか、あまり食指が動かない。

「日本に来たクルド人は三つの世界で死ぬ。夜遊び、お酒、ギャンブルだ。死ぬのもいいけど生活するならそこを通過しなければならない。でもクルド人は何も知らずに日本へやってくる」


七時五分の高尾行きの電車に乗った。窓から見える東京の裾野を眺めながら、歌舞伎町で定点観測を続けるSの眼に射抜かれたこの国の姿に近づきたいと焦がれた。

2004.11.21