Als ich..

僕が5歳のとき、母は25歳
彼女はとても大人だった

僕が25歳のとき、母は45歳
彼女は年寄りだと思った

僕が45歳のとき、母は65歳
彼女はとても若々しく見えた

僕が48歳のとき、母は死んだ
そして僕は気がついた
彼女はとても若くして逝ったことに

Als ich 5 Jahre alt war, war meine Mutter 25,
und ich fand sie sehr alt.
Als ich 25 Jahre alt war und sie 45,
fand ich sie alt.
Als ich 45 Jahre war, war sie 65,
und ich fand sie sehr jugendlich.
Als ich 48 Jahre alt war, starb meine Mutter,
und ich fand, sie sei sehr jung gestorben.

Max von der Gruen 続きを読む

グラムシ・覚え書き

従属的諸階級の歴史のために

方法論上の基準
従属的社会集団の歴史は、必然的に、断片化された、そしてエピソード的なものであらざるをえない。
これらの社会集団が歴史の中で展開する活動にも、たとえ暫定的な水準においてのものであるにしても、統合へと向かおうとする傾向が存在していることは疑いないが、この傾向は支配的社会集団の発動するイニシアティヴによってたえず粉砕される。
したがって、歴史がそのサイクルを、それも成功裡に閉じたとき、
そのときになってようやく、そうした傾向が存在したことが証明されうるのである。

従属的社会集団は、反乱し蜂起するときですら、つねに支配的社会集団のイニシアティヴをこうむっている。
ただ「永続的な」勝利のみが、それも即時にではなく、従属状態をうち砕くのである。
実際にも、従属的社会集団は、勝利したかにみえるときでも、
不断の警戒を要する防衛状態にあるにすぎない。
だから、従属的社会集団の側から発揮される自律的なイニシアティヴの痕跡は、そのひとつひとつが全体史をめざす歴史家にとっては計り知れない価値をもっているというべきであろう。
そして、このことからは、そのような歴史はモノグラフのかたちをとってしか書きえないということ、また、そうしたモノグラフはそのひとつひとつがしばしば収集困難な膨大な量の資料を要求するということが帰結する。

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「第五章 従属的諸階級の歴史のために」110-111頁『知識人と権力』アントニオ・グラムシ 上村忠男訳

Die Qual der Fremde

Derdi duri, derdi duri kustimi
Derdi wusyari seburi kustimi
Yadi yaran u wilatim roj u sew
Le heram kirdim qerar u Xurd u xew


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Die Qual der Fremde,
die Qual der Fremde
hat mich umgebracht.

Die Qual der Sehnsucht
hat meine Geduld umgebracht.

Die Gedanken an mein Land
und meine Lieben bei Tag und bei Nacht,
haben meinen Schlaf, mein Leben, mein Denken umgebracht.

異国に或る苦しみ
その苦しみは私を死に追いやった

望郷の苦しみは
私の忍耐を潰えさせた

くにへの想い
昼に夜に苛む私の愛は
私の眠り、私の人生、
そして思考さえも奪い去っていった


Mehmed Uzun
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